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【地震関連】発生当日に出動―兵庫県レッカー事業組合 (2/3)
  活動場所となった岩手県釜石市に到着したのは発生翌日夜8時(出発より23時間後)。気温は0度以下、岩手の冬は凍てつくような寒さで、寝袋を借りていったがトラックの中はよく冷えた。また何度か震度5程度の強い余震に襲われ、寝付けませんでした。広域援助隊と合流したが夜は危険が伴うため翌朝7時(生存の確率の高い残り時間31時間)より人命捜索の補助に当たった。


 翌朝目にした光景は、まるで戦場へでも連れて行かれたかと思うほど想像を絶するものだった。阪神淡路大震災で被災しましたが、それと比にならない状況で、これを上回る災害は隕石でも衝突しない限り起きないのではないかと思った。 

   初日は漁船やマイクロバス、乗用車などこれまでに経験のない作業となりましたが、捜索活動が奥に入るに従い、レッカー車での援助活動が難しくなっていきました。

広域援助隊とはいっても勝手に手をつけることができないため、次の指示を待った。しかし対策本部の体制も整っていない状況で、待てども支持は出ないので「自分たちに何が出来る?自分から動かないと!」と思い直し、道路を阻むがれきの整理を行う自衛隊に「車をどけたらもっと片付きますか?」と問いかけると「じゃあがれきを片付けて下さい。これも出来そうですね」といったように作業が進み約100台を撤去した。2万人を超える行方不明者が出ていると聞き、現地での活動中に人命救助に立ち会えるのではないかと思ったが、みな津波で沖へ流され、瓦礫の下や陸地に生存者はいなかった。かわりに養殖されていたサメや毛ガニの死骸や金庫や宝石がたくさん落ちていた(そのため治安が非常に悪かった。ボランティアが立っているだけで、治安は守れる)。遺体は洗濯機で回されたかのような悲惨な状態で、夏に地震が発生していたら大変なことになっていた。


   私は阪神淡路大震災を経験しましたが、今回の東北地方太平洋沖大震災は阪神大震災と全く性格が異っていました。津波で大きな被害を受けた一帯は漁業で開けた町が多く、高齢化も進んでいる。家、漁船、自家用車を失い、塩水を被った土地や汚れた海がもとに戻るには何十年もかかる。被災者に「頑張って」の声は決してかけてはいけない。これから自殺者が増えることも懸念され、メンタルケアは必至です。